歴史
石川県金沢市東原地区は、富山県境近くの中山間地にあります。昔から越中(富山)への抜ける重要な道筋でもあった東原町。今でも残る地名と伝説をあわせ考えると大きく、そして立派な町であったようです。
その昔、県境には「峯ン城(ムネンジョウ)」という地名があり、今で言う検問所もあり見張りの番人もいました。富山へ通じるこの道は古くから、草鞋をはいて、あるいは馬を引いて行き来しました。
町の真中当たりの茶屋坂には茶屋があり、鍛冶場や酒屋(酒屋の越)もありました。侍が馬の訓練をしたのか馳地(カクチ)、的場もあったそうです。そればかりか寺ン山というお寺もありました。旅人にとって東原町は、峠の登り口での大事な休み場であったようです。
ミズバショウ
東原町に自生する水芭蕉。春早く可愛い花をつける水芭蕉、東原町では大葉様といい、神様のご神体の様に昔から大事にしています。標高が低いところでの群生は大変貴重で、毎年訪れる人も多く、昭和58年4月1日に金沢市から市の指定天然記念物に指定されました。
村人は水芭蕉を神様と崇め大事にした事で存続できたのでしょう、明治時代後期までには大葉様のお堂(大葉社)もありました。時代が大正を迎えて八幡社と大葉社が合祀され、現在の東原八幡宮の奥殿がそれにあたります。子供達は大葉様の前でお辞儀するのが習わしとして親から子へ引き継がれています。
水芭蕉は東原町の戸数の株数があり、戸数の増減により水芭蕉の株数も増減すると昔から伝えられています。